平城京、通説より広かった 造営当初は南に400m

 平城京(710−784年、奈良市)跡の奈良県大和郡山市の下三橋遺跡で、碁盤の目状に区画整理された奈良時代初頭(8世紀初め)の道路遺構が見つかり、同市教委が26日、発表した。方角や道幅が京内の都市計画「条坊制」と一致しており、造営当初の平城京がこれまで考えられていた東西4・3キロ、南北4・8キロより少なくとも南に約400メートル広かったことが分かった。
 明治時代から100年間、通説となっていた平城京の復元図を書き換える発見。京の外郭を区切る城壁・羅城(らじょう)跡も日本で初めて確認した。古代日本の都市計画や平城京の造営過程を研究する上で重要な資料になりそうだ。
 土器などから、道路は藤原京(694−710年、奈良県橿原市)から遷都して約20年後、意図的に埋められたらしい。

昨日から相次いで色々発見されている。平城京は400メートル広かったんだ・・・。