蘇我入鹿の邸宅跡か 甘樫丘、書紀の記述裏付け

初めて飛鳥にいったときからずーーーーっと注目してたのです。はじめて行ったとき、甘橿丘で何か発掘をしているのを見ていたので。ここの発掘ってことは、つまり蘇我家を発掘してるってことだよね?と思って。それからずいぶんたちましたが、やっと発表になったようです。

 甘樫丘のふもとで見つかった飛鳥時代の大豪族、蘇我入鹿の邸宅とみられる建物跡=10日、奈良県明日香村
 
 大化改新(645年)で滅ぼされた飛鳥時代の大豪族、蘇我蝦夷と入鹿親子の邸宅があったとされる奈良県明日香村の甘樫丘(あまかしのおか)の東南ふもとで、7世紀の建物跡や塀跡、焼けた土などが見つかり、奈良文化財研究所が13日発表した。谷を大規模に造成しており、日本書紀に「谷の宮門(はざまのみかど)」と記された入鹿邸の可能性が高いとみられる。
 蘇我邸の有力候補地と考えられている同丘陵東側で、7世紀の建物跡が見つかったのは初。
 日本書紀の記述を裏付ける画期的発見で、天皇家をしのぐ勢いを誇ったとされる蘇我氏や、日本が中央集権国家へ進む転機となった大化改新の実態を考える上で第一級の資料になる。
 国営飛鳥歴史公園の整備に伴い725平方メートルを発掘、掘っ立て柱建物跡5棟と長さ12メートル以上の塀跡が見つかった。
 いずれの建物跡も規模が小さく、庇(ひさし)を支えた柱の跡がないことから、正殿など中心的な建物ではなく、付属施設だったらしい。

現地説明会は水曜日だってーーーー
ああああ金曜日以降なら予定変更していったのにーーー

甘樫丘東麓遺跡現地見学会 −国営飛鳥歴史公園甘樫丘地区
日時 : 平成17年11月16日(水)
    10:00〜15:00


なにより「焼けた土」が残ってるって、それは乙巳の変の時のものに違いないのだから、凄い凄い本当に凄い。「大化の改新はなかった」とか言う研究者もいたりするのだけれど、少なくとも蘇我総本家は焼けてるってのは間違いない、ってことだよね。

丁度今日長岡良子の暁の回廊を読み返していたものだから、余計にうれしい(笑)