現地説明会

前回に引き続きまたしてもいく日に現地説明会が2箇所(笑)かぶってしまいましたので、見て参りますー。
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200702060055.html

飛鳥浄御原宮の北端か、石組み溝出土 宮の範囲ほぼ確定
2007年02月06日
 奈良県橿原考古学研究所は6日、同県明日香村で、天武天皇の宮殿「飛鳥浄御原宮(きよみはらのみや)」(672〜694年)の北端とみられる大規模な石組み溝が出土した、と発表した。東端はすでに確認され、西端と南端も推定されていることから、宮の範囲がほぼ確定した。面積は、持統天皇の遷都によって造られた本格的な都城藤原京の中枢、、藤原宮(694〜710年)の約3割、25〜30ヘクタールとみられる。
飛鳥浄御原宮の北端と見られる石組み溝。後方は飛鳥寺=6日、奈良県明日香村で
 調査地は、飛鳥浄御原宮の正殿とされる建物跡の北500メートルの田約250平方メートル。見つかった石組み溝は幅1.7メートルで、東西方向に長さ13メートル以上。7世紀後半とみられる。同宮最大級の排水路で、西側を流れる飛鳥川につながっていたらしい。石組み溝の北側には、同時期の遺構が見つからないため、同宮の北端の可能性が高いという。

 同宮は、天皇の住まいの内郭(ないかく)と役所の外郭(がいかく)からなる。外郭の東端からは石組み溝と、その5メートル内側に板塀跡が見つかっている。土地の形状などから、南端は内郭の南東で出土した「大極殿」遺構の南側、西端は飛鳥川と推定されている。今回の発見と合わせ、同宮は南北800メートル、東西100〜500メートルにわたって築かれていたとみられる。

 現地説明会は11日正午〜午後4時。小雨決行。

http://www.kashikoken.jp/index.html

現地説明会のご案内



 下記の通り現地説明会を開催することになりましたので、ご案内いたします。


明日香村 飛鳥京跡第157次調査 現地説明会


【日 時】 2007年2月11日(日・建国記念の日)12時〜16時(小雨決行)
調査員による説明は随時おこないます。

【会 場】 高市郡明日香村岡・飛鳥

【内 容】 飛鳥京跡外郭に位置する東西方向の石組み溝およびそれに取り付く南北方向の石組み溝。飛鳥〜平安時代の東西方向の溝。

【交 通】 近鉄橿原神宮前駅東口バス乗り場より、奈良交通バスにて所要時間23分、運賃230円。飛鳥大仏前バス停下車、徒歩5分。

そして
http://www.nara-np.co.jp/n_arc/070202/arc070202a.shtml

蘇我入鹿邸の石垣?-甘樫丘東麓遺跡  (2007.2.2 奈良新聞)


蘇我氏との関連性が指摘される甘樫丘東麓遺跡から出土した石垣=1日、明日香村川原
 「大化の改新」(645年)のクーデターで滅ぼされた蘇我入鹿(いるか)の邸宅跡とみられる明日香村川原の甘樫丘東麓遺跡で、7世紀前半の石垣が見つかり、奈良文化財研究所が1日、発表した。大規模な整地が行われて多大な労力が投入したと推定されることから、当時最も権力を持っていた蘇我氏に関連した遺構の可能性が高い。日本書紀に記された入鹿の邸宅「谷(はざま)の宮門(みかど)」とする説が強まった。

 国営飛鳥歴史公園甘樫丘地区の造園に伴い、約920平方メートルを調査した。石垣は谷筋に沿って、南北方向に長さ約15メートル確認。直径20〜50センチの丸石が高さ50センチから1メートルに積み上げられ、南に行くにつれて高くなっていた。石垣の東側は一段高く土を盛って整地。石垣は傾斜地の法面の崩土を防ぐとともに、威信を示すための視覚的な効果も果たしていたと考えられる。

 石垣東側からは、縦約8メートル、横約3.8メートルの建物跡と長さ約4.8メートルの塀跡の同時期の遺構が出土。また、建物跡に直結する暗渠(あんきょ)の排水口もあった。

 日本書紀には、皇極4(644)年に「蝦夷・入鹿父子は、甘樫丘に家を並び建てた。蝦夷の家を上の宮門、入鹿の家を谷の宮門と呼ぶ」と記述。翌年、入鹿は中大兄皇子天智天皇)らに暗殺され、蝦夷は邸宅を焼いて自殺したとされる。

 ●現地見学会は11日正午から午後4時まで。