雷丘。

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<埴輪>雷丘で多数出土 奈良文化財研究所

 奈良文化財研究所は21日、歌人柿本人麻呂が「天皇が庵(いおり)を建てた」と万葉集で詠んだ、奈良県明日香村雷(いかづち)の雷丘(いかづちのおか)(高さ約20メートル)西側斜面から、5世紀後半の埴輪(はにわ)片が多数出土したと発表した。日本書紀平安時代の説話集・日本霊異記(りょういき)には、雄略天皇(5世紀後半ごろ在位)が侍者、小子部栖軽(ちいさこべのすがる)に命じて、地上の雷を捕らえさせたとあるほか、栖軽の墓を建てたとの記述もあり、古墳が存在していた可能性があるという。
 植林・整備事業に伴い、今年10月から約500平方メートルを初めて調査。埴輪のほか、中世(15世紀ごろ)の山城跡などが確認された。丘の中央と東側の2カ所から外敵の侵入を防ぐV字型の堀、薬研(やげん)堀(深さ約2メートル、幅約5、6メートル)を検出。中腹からは敵を遮る「武者走り」などの平たん面も見つかった。丘全体(7000〜8000平方メートル)が、山城としての機能を果たしていたとみられる。
 柿本人麻呂は7世紀後半に活躍。万葉集には「天皇、雷岳に御遊しし時、柿本朝臣(あそん)人麿の作る歌一首」として、「大君(おおきみ)は神にし座(ま)せば雨雲の雷の上に廬(いほり)せるかも」と記されている。
 奈文研は「庵跡は、山城造成時に削られたのかもしれない。いずれにしても、古代には藤原京一帯などが一望できる場所だった。中世には敵の攻撃を見極める物見台の役割を果たしたのではないか」としている。

雷丘は私が奈良に興味を持った最初の場所です。中学校の国語便覧に掲載されていた写真が雷丘のものでした。菜の花が咲き乱れていて、空が夏みたいな空で、不思議な光景だったのです。
明日香村にはじめて行ったとき、明日香村に入ってすぐに雷丘を見つけて、大興奮したものです。雷丘は甘樫丘だったのでは?という説もあるのですけれどそれはそれで、とにかくあそこには人一倍思いいれがあります。
↓は雷丘ではないですが(笑)