2002年6月の一人旅。

 とりあえず夜行バスで一路大阪へ。
しかしやっぱり高揚してるのか、眠れないですね。
5時半頃大阪駅につきました。生まれて初めての大阪です。
でも目的地が違うので、大阪の地にはものの30分もおりませんでした。
あははは。しかし朝だよ眠いよ。

奈良公園

 電車で奈良駅に到着〜。半年ぶりの奈良ですよ。ああ。愛。
もうここに来たくて仕方が無くて、この半年呪文のように「奈良にいきたい」
と毎日呟いてた場所よー。とかってそのまま前進していきたかったのだけれど
帰りのことを全然考えてなかったので、それはまずいと思ってみどりの窓口へ。
「30日の夜行バスありますか?」
(わあ、そのまま出勤か、朝5時に帰宅して出勤しようとしてるこの女)
と、聞いたら、無いとのこと。なので30日の昼間のバスを取りました。
安心したらおなかがすいてきたので駅前のなか卯へ。うどんを食べる。
おなかいっぱいになったらもうちょっと精神的に余裕が出てきて、
東大寺展(そう、これを見たかったの)のチケットを前売りで買う(ちょっと安い)。

 そこから東大寺展が始まるまで、1時間半くらい奈良公園を散歩。
鹿に遭遇。ああ今日もきみたち、三宅健(V6)に似ているなあ・・・。(は?)
朝とは言ってもすでに、日は結構高い。まあ時期が時期ですから。
奈良駅から二月堂まで直進あるのみー。みたいなかんじで進みました。
この場所が好きな人は多いと思う。物凄く眺めがよくて、気持ちがいい。

・・・そして私もとてもとても愛しているのに、この場所で過去2度ほどひいた
御神籤はですね、どちらも凶(まったく同じ番号)で、やあ、何の因縁があるんだー!
とか叫びたくなるくらいでですね。怖かったんですが。
やった!やったよ!!
はじめて吉を引いたよ!(笑)
よかったよかった。(何故か数名にメールで報告してるし)


 それからなんとなく正倉院方面に進む。中学校の修学旅行以来。
本当は春日大社のほうまで行くつもりだったのですが
あそこは神社のくせに金をとりやがる(笑)。
・・・いえね、悪いわけじゃないんだけど妙に藤原不比等に惹かれつつある昨今
これ以上あんまり藤原家には近づいてはいけない気が。(は?)

ぢゃなくて、とりあえず正倉院のほうに行ってみました。
あそこってば平日は、外観が見られるんですね〜。でも、10時からとのことで
そのときまだ9時前だったから「今から待つのはやだ」と思って、
策の外からだけ覗いてみました。
・・・正倉院でした。(そりゃそうだ)
や、結構大きいのね。(7年前見たとは思うんだけど)
聖武天皇の遺品が納められていた倉ですが、聖武天皇の祖父や曾祖母や曽祖父から
伝わった品(だから、草壁皇子とか持統天皇とか天武天皇なわけですが)
も入っていた場所です。正倉院展も見に行きたいですね。

 で、見たくて来週で終ってしまう「東大寺のすべて展」。奈良国立博物館
開く時間に近くなったので、行ってみましたら、なんかもう長蛇の列。
みんななんでそんなに!?

 開館して色々見て回りました。が、一番興味深かったのは、
小さい仏像なんですが、物凄い細工がされているもの。うわーーーとか思って
見てましたが、その周りに勾玉ストラップみたいな装飾がされていて
「昔からこういう細工が好きだったのか日本人」とかちょっと思った。
(違うと思う)
 あとは四天王像。表情が生きてます。本当にこれは、
声かけたら返事しそうなくらいの表情。怒り、の。また薄暗い中なので
迫力があるんですよね・・・。絶対モデルがいると見た。

 時代が違うけど、東大寺復興に尽力したお坊さんの像、も今にも
動き出しそうな雰囲気でした。ちょっと怖かったよ。
鎌倉時代に作った像で、色が鮮やかに残っているお坊さんの像もあって
これは驚いた。なんか「おもちゃ?」っぽい色の塗りが残っているんですよ。
最近作ったっていわれても信じてしまうくらいの。(失礼な)肌色とか
服の色とかも全部きれいに。てことは今見ている古い木造の象とかも
色が落ちただけで実際はもっとこんなふうに色が着色されてたのかな?と
思いながら見ていました。

 そうそうこの美術館のある意味メイン(笑)
ミュージアムショップのグッズなんですが仏像とかが可愛い感じのはんこに
なってるんです〜。シールもあったので買いました。マジに好み。

 博物館を出たあと、靴が重くてちょっと辛いとか、服が暑いとか
バッグが重いとかいう理由で買い物。
なんか安くてつい服とか買うし。(重くしてどうする)
リュックを買ったのではっきり言って登山者って感じですがまあ、歩くし。
いいや、と思ってリュック背負って西大寺へ向かいました。

西大寺
 駅を出てレンタルサイクルがある場所とは逆に出てしまったことに気付く。
そして逆の場所について最初に思い出した事。
「・・・ここって堂本剛の地元じゃん」
彼はよく地元をネタにしてました。なので駅前のショッピングセンターとかに
見覚えがあったので御座います。っていうか、ここに来て剛かよー。

 気を取り直して(笑)自転車を借りて、いざ平城京跡。
このただただ広いだけの、いまはもう無い都の跡が大好きなんです。
約一年ぶりの平城京跡は2010年に「遷都1300年記念」として作っている
第一次大極殿(政治をしてた場所)を復元真っ最中でした。

 平城宮資料館みたいなところで色々と見てから、自転車でぐるぐると思うがままに
駆け巡って、天気の良い中、第二次大極殿の上でお昼ご飯。コンビニの
おにぎりですけどね、外で食べたかったので。

 人はあんまりいないし。気持ちよかったですよーもう。幸せ。
やっぱり考えてしまうのが、
ここで孝謙天皇とかも食事をしたかな、とかそういうこと。(笑)

 食べ終わってぼーっとしてたら知らないおじさんが来て話かけてきた。
色々話をしたけど私の印象としては
・あんまり古代史は好きじゃないのかな(戦国時代の奈良の話ばかりをされた)
・情緒として復元モノは嫌いらしい
・暇らしい
ということ(笑)。でも第一次大極殿がいつまで使われてて、いつ第二次が
出来たのか?という話を聞けたので良かったです。(でも漠然とでしたが)

 話をしていたせいもあって時間がなくなってきたので薬師寺とか唐招提寺には
いけなくなってしまいました。なのでとりあえず近くの孝謙天皇の墓に行くか
と思って自転車に乗って、佐紀路を進む〜。
でも見つけたのは「日葉酢媛命墓」の標識ばかり・・・なんでなんでー!
そんなにどうでも良い存在なのか?そんなに影薄くしたいのか!?
(大体大仏開眼の時は聖武天皇太上天皇になってたので、実際は孝謙天皇
時代に出来たものなのにー。)

 私は、坂口安吾が好きで、坂口安吾の「道鏡」を最初に読みました。
だからそのイメージが濃いのかもしれません。更に里中満智子の「女帝の手記」も
読みましたので、「道鏡=悪僧」という世間一般のイメージのほうを
実は殆ど知らないのです。
藤原氏に都合のいいように書かれた歴史書には、女帝をたぶらかした悪僧、というふうに描かれているのです)
 古代の最後の女帝なのですが、興味がある人のうちの一人としてとりあえず
お墓を見ておきたかったんですよね。探しまくってなんとか見つけました。
・・・それも、うろうろしてた森がそうでした(笑)。ただ、「ここが墓」と
わかるようになっている鳥居が裏にあったからわからなかったんですよねー
とりあえず手を合わせておきました。

 あ、日葉酢媛の墓の標識ばっかりみかけた理由っていうのはあとでガイドブックとかを
見てわかったんですが
古代の殉死制度をやめて、被葬者と一緒には埴輪を埋めることにした
最初の墓なのだそうですよ。なるほど。(火の鳥を思い出してしまった)

 それから西大寺の駅に戻りました。
しかし西大寺幼稚園とか・・・本当、堂本剛ファンだったら泣いて喜ぶわなあ。(笑)
とか思いつつ電車に乗りまして。次の目的地へ向かう。が爆睡。(笑)
気付いた場所が降りる場所だったので、タイミング良く降りる。
乗りかえて、耳成駅へ。すぐについた。

 過去2度こっち方面に来ていて、行こうとして一度も行けなかった藤原宮跡へ。

【藤原宮跡】
 徒歩30分、とか言うだけあってさすがに、結構距離ありました(笑)
でも行けてよかったですよ。あともうちょっと歩いてしまったら明日香村だったんですが
明日香は明日。ということで藤原宮跡まで。

 持統天皇が主人公のマンガ、天上の虹が好きなので
(それだけじゃなくて持統天皇自体がすき)やっぱりこの場所には
一度来てみたかったし、来られて良かったです。ここでは疲れきたので
軽くおやつにパンを(笑)。ああ持統天皇も此処で以下略。

 この場所は、広い広い平城京跡とはちょっと違って、規模は小さいです。
周り民家だらけだしね。あと田圃と。目の前発掘してるし。
(そう、最近もここで色んなものが発掘されたんだった。)
藤原京は日本で最初の都市。ですね。たった16年で平城京に遷都になったわけですが
たった16年の都でもここは都だったんだなあとか思って、ぼーっとしてました。
本当に、大和三山が周りに見えて、ここから持統天皇はあの有名な百人一首
2番目の歌を作ったんだなあ。とも思ってました。
丁度、今の時期かもうちょっとあとの時期、かな。

 ここから駅まで地図を見ると、乗り換えしない駅まででも歩けるじゃん
とか思ってすたすた歩く。ひたすら歩く。そうね今日1日でどのくらい歩いたかしら?
という感じよもう(笑)。
駅について今日の宿に勝手に決めたお風呂(健康センターですね)のバスを待ち
バスに乗り、着いてすぐにお風呂に入る〜。
あああああああ極楽だああ。(笑)

お風呂にいくつかはいってごろごろしてたんですけどさすがに重い荷物を
背負っていただけに(そして元々)肩がずたぼろ。
なのでマッサージしてもらっちゃったよ。普段なら考えるけど今日はいいや!
って思って。更にだらだらとしてたら足が張ってきたので足も足底マッサージも
してもらってしまった・・・。血行が良くなるそうだ。その効果は次の日に
痛い程実感するのですが。

健康センターの仮眠室で仮眠じゃなくて、ぐっすりと眠ってしまいました。
朝起きてお風呂に入った。良いねえ朝風呂。
どう見ても外の天気は悪い。やだなーとか思いつつ健康ランド
出る。でも取りあえず元気なんせ今日は明日香村。

【明日香村】
電車に乗って明日香村に着きました。古代の日本の中心地です。
 古代史(飛鳥時代奈良時代)を好きになってからというもの、
この場所にはとても惹かれております。しかし何の因果か体調は最悪の状態。
なのにもかかわらず愛です愛。愛ってすげえや。もうかまわずに
自転車借りてびゅんびゅんと飛ばしておりました。
天気は悪いけど、明日香村の道を走っているだけで幸せ。

 明日香村にはレンタルサイクルがたくさんあります。
乗り放題です(笑)。今回は、博物館とか美術館っぽいところに行きたい
という目的があったのですが、気の赴くままに走ってみようと
適当に走ってましたら、明日香村に入って最初に目につく、
雷丘。
 適当に走っててもやっぱりカンか何かよくわからないけど
(第一今回は知らない道を走ってたのに。)取りあえず向かってしまうのねー
とかって、取りあえず自分自身に受けてました(笑)
このまま曲がると知ってる方向にしか行かないなあというのがわかったので
適当に走ってましたら、山田寺跡を発見。ここにも来てみたかったので
ちょっと嬉しかった。遠くでは発掘作業をしている人たちが。
この近くにある資料館では、ここで倒れたまま発掘された伽藍の木の部分が
再現されてます。本物使ってるんですよね〜。
(ていうか倒れたまま1300年も土の中にあったのが凄いよね)

 そこからまたしても適当に走り回って、今度は行ってみたかった万葉文化館へ。
万葉集をモチーフにした日本画とかがとてもとても美しかったです。
あとは、「歌ってなんだろう」というコーナーとか・・・うーん、修学旅行生向き?

 昔の歌、ここでは大津皇子の歌でしたけれど、それを「原文についている音階でよむとこういう音になる」
とか、「古代和楽器バージョン」とか「ラップバージョン」とか、「フォークバージョン」とかで表現。
私は古代和楽器バージョンが一番好みだ(笑)。
でもラップとか・・・フォークって・・・どうよ。
今残っている万葉集とかって詞の部分だけだけど。音階があったそうで。

 「元々の「歌」とは何ぞや?」みたいなコーナーではアニメで元々の歌、
とかを表現。歌垣と言って、若い男女が集まって、飲み食いして親睦を深め
歌を送りあって気に入った相手とそのまま山で一晩過ごす。
とかいうのが古代の庶民の「うた」らしいんですけど。

・・・・・・・・合コンじゃん。
(「まあ集団見合いですね」みたいなことを言ってたが)

 あとは、万葉劇場と言って、額田王柿本人麻呂の人形が出てきて
私はこんな歌をこんな状況で歌った、というのを見せてくれる。
(光とか音楽の演出が凄いですが笑える〜)←でも弥衣さんみたいな声の人と
上野さん声コーラスっぽい(ていうか本人かもしや)が入ってて気になったが。

で。突っ込みたかったのですが、額田王、いいのか?まだ大海人様に未練がー
みたいなこととか言って(笑)。壬申の乱は私を争って起きた、みたいなことも
言ってなかったか。で、乱の後大海人様の元に戻りましたーとか。
・・・・・・・待てその解釈超危険ー!!
今はそういう見方してる人少ないのにどうしてそっちを植え付けるんだ(笑)
有名な「茜さす」という歌も、ひそかなやりとりではなくておおっぴらにやった
という見方のほうが有力なのに・・・。
この会館、歴史作家の杉本苑子さんが関わってるんだから
ちゃんと監修お願いしますよ〜。とか思ってしまったぢゃないか・・・(笑)
(でも杉本苑子さんの小説では額田王は大海人のことが
ずっと好きだったみたいな解釈になってましたけど・・・だからか。)
 
 難しいよ〜よりによってこの明日香の地に、
解釈なんてしようによってはたくさんあることを、
大々的に「こうでした!」って決めつけたかのようにして
見せるのは危険。物語じゃなくて、歴史なんだから〜。修学旅行生が来ちゃうんだから〜
しくしく。

 まあでも期待してたほどではなかったかな・・・。この場所は和同開珎よりも
前にあった日本の貨幣富本銭が出土した場所でして、今も下のほうでは
発掘作業が繰り広げられてました。
天武天皇の飛鳥浄御原はここかもというのが一番今有力みたいですね)

そこから、行きたかった場所のうちの一つ「甘樫丘」にも上りました。
ここは蘇我蝦夷蘇我入鹿の邸宅があったとされる場所です。
大化の改新の時に焼けちゃいましたけど。
てっぺんに登ったら、大和三山生駒山二上山も見放題(笑)。
藤原京も眼下に見えました。凄い凄い〜。

お昼ご飯を食べた場所は一度行ってみたかった「めんどや」さん。
ここのにゅうめんは本当にうまかった!!ていうか三輪そうめん!本場の味。
あとから石舞台古墳の紅花が美しい時期だと知ったのですが、今日はもう石舞台のほうは
行かなくてもいいかーと思って行かなかった・・・ちょっと後悔。

 そこから雨がぽつぽつ降ってきてたんですが高松塚古墳の壁画館へ。
その前にまた資料館みたいなところで色々見てました。ふふふ大好き。

壁画館は、全部レプリカです。でも構造が知れて良かった。

壁画館を出るころは雨がひどくなっていて。時間余ってるけど
明日香村は出たほうが良いと体も訴えているんですがどうしても、「キトラ古墳」の文字を
見つけてしまって、「あああ駄目。」とか思いつつ探しに行ってしまった・・・。
キトラ古墳はちょっと遠いのです。それに行ったからってみれるわけじゃないし。
でも場所確認して「ここか」と思っておきたかったらしい(笑)
というわけで2kmの道のりを爆走(土砂降り。)
わはははもう、楽しいおかしい。私(笑)

見つけてから木陰に入って雨宿り。(わあ凄い、それが出来ちゃう明日香村)。
そして朱雀や星宿図発見前に立ててあった看板を見つける。
(なんかどうでもいいような書かれ方をしていたよ)
誰もいないし、雨だし、ここかあああ。ここにあの朱雀とか謎の星宿図とかが
あるのかー。で、誰のお墓なのーーー。という。来たって謎が解けるわけでは
無いのですが、取りあえず来たかったのです。(しかし誰なんだ本当)
とりあえず場所の確認だけでも出来てよかったかなあと(笑)

そのあとぐしょぐしょに濡れてる状態で一番近くにあった
自転車返却所に返す。コンビニでビニ傘を買う。折りたたみ持ってくれば
よかったよ・・・。
飛鳥駅に向かって、明日香とはさよならしました。今度は
民宿に泊って一日中明日香漬けになってたいよ(笑)

少し早いけど、今夜の宿に向かうことに。
しかしここから問題が。
なんか、「高田駅」とか「高田市駅」とか、似た名前の、しかも
路線が違う駅がたくさんあるのよね・・・駅の場所が違うのよね・・
私の携帯の駅探だと、どうも高田市駅から徒歩16分(笑)で高田駅へ行き
その乗り換えをするのが一番早いとのこと。
まあいいわ、歩けば。とか思って降りてみたが、
知らない町は右も左もわかりません(笑)

右往左往してるとバス停が。
取りあえず乗っちゃえ。とか思って適当に乗ると「高田駅」前についた。
楽勝じゃん!とか思ってみたら近鉄だった。JRの駅にいきたかったんだけど・・・
でもちょっと歩いたらJRの駅があったので、ほっとして電車に乗る。生駒線
弟に「生駒線に乗ってます。」とメールを打ってみる(笑)

そこから宿に入るまでに1時間あったので
「明日の帰り早いから、今行かないといけないかも!」
と思って、降りる駅を通り越して平群駅というところで降りる。
雨の中、長屋王の墓を探しまくりました〜。

 長屋王と妻の吉備内親王のお墓です。人が殆どいないような
駅で降りて、人が一人もいない雨の長屋王墓はちょっとぞくっとするような
雰囲気でした・・・天気が良かったらどうだったんだろう。
この方の悲惨な死に方を考えるとまた余計にねえ・・・。
長屋王墓よりもぞくぞくっとしたのは妻の吉備内親王墓。
民家の間の階段のところに、その立て札があって
天武天皇皇孫長屋王妻 吉備内親王墓」と書いてありまして。
・・・いえ、この人(吉備内親王)も天武天皇皇孫だし・・・
で、墓碑を見たら「岡宮天皇皇女・吉備内親王」となってました。
・・・・・即位してないんですけどね!!岡宮天皇って!!(父だが)

 長屋王の変という事件がありました。
聖武天皇の皇子の基皇子は1歳になるかならないかで死んでいるんですが
それが長屋王が呪いをかけたせいだ、という讒言からはじまってます。
これは本当あとで、無実だったということが書かれているそうなんですが
一晩で兵が長屋王の邸宅を取り囲んで、自害させられました。
だからまあ、その後聖武天皇とか、
藤原4兄弟とかは長屋王の悪霊に悩まされたりします。
(まあそれは後ろめたいことがあるから、なんだろうけどさ)

 藤原家の陰謀なんでしょうけどね。どうしても藤原の家から天皇を出す、
というのに長屋王が邪魔だったということで、一番血筋の良い長屋王
その妻(吉備内親王)を殺してしまうわけですが。

 吉備内親王の墓に行ったら、この人に急激に興味を持ってしまいました。
雨の中の異様な雰囲気だけじゃなくてね。

 祖父は天武天皇、祖母は持統天皇。母方の祖父は天智天皇、と
古代の有名天皇そろい踏みで、
更に母は元明天皇平城京遷都)、姉は元正天皇、兄は文武天皇、と
とにかく天皇じゃない人がいないくらいの(父親だけ。皇太子だった)
血筋で、この人は皇位継承者の一人だったんですね。
聖武天皇退位後に皇位継承権を持っている吉備内親王が即位、ということも
あり得ることも読んで、藤原氏長屋王とその妻と成人に達している子供を
殺したんだと思います。

大きな墓を作られた、祖父母、父母、姉、兄と違ってこの民家の中にある
小さな塚が彼女の墓か、と思うとなんていうか色々思ってしまいますね。



・・・で、宿に行こうと思ってると、駅に戻るのにちょっと手間どう(笑)
あはは。で、宿から連絡がきて、今からいきまーす、と返事。
取りあえずそれから、信貴山の上にあるお寺の宿坊に参りました。
バスで山を登って、それから徒歩。信貴山朝護孫子寺へ。
ここが今日の宿。お寺に泊るのです。とは言っても、部屋は普通のホテルの
和室並。ついて少ししたらすぐに夕飯でした。

凄くおいしかったー。ごま豆腐が最高にうまかった(笑)
一緒に泊るという親子とお話をしたりして、食事を終えてから
外を見ると雨が上がってる。ここは夜になると、石の灯籠に一斉に
火がともるんです。7時前くらいでしたが、まだ明るかったので
いったん部屋に戻って母に電話(笑)実は一人で行くことを
黙ってたんですが(なんか反対されたの)、叔母には言ってて、叔母が
母に何気なく言ってしまってたので(笑)一応電話をしました。
「そっちはどうなの」
「雨降ってるよ」
「お母さんに黙って行くから雨降ったんだよ」
・・・関係無いと思うよ佐智子さん。

7時くらいに外を見てもまだ明るい。この山はいくつも
お堂とか、神社とかがたくさんあって、楽しいのです。
適当に見てたら、随分山の上へつながる階段があったので
のぼっていたんですが、やはり時間も遅いし、暗くなってきてて
ちょっと怖く(笑)なったんですねー。なので戻ろう、と
振り向いたら
空が赤くなってて、でもまだ赤いところもあって、そこに
虹がかかってました。

うわーうわーうわーと、思って、感動してました(笑)

夜はさすがにぐっすり眠りましたよ・・・
信貴山
 この山は聖徳太子物部氏と合戦したおり、毘沙門天を呼んだ山、
という伝説があります。伝説・・・でしょう(笑)
いろんな神様や仏様が祀ってあって、楽しいです。元々好きなんで。

何でここにしたかというのは別に理由は無いんですが、
評判を見て、というのと直感(笑)。
中学生の時受験勉強さぼって京都奈良旅行をしたい計画を
友達2人と立てていたときに(何してたんだろうなふみえよ)
ここに行きたいという話もしてて。それをふと思い出したんですよね。
で、宿があるというので何となくここにしました。

 夜ぐっすり眠って朝は6時からお勤めがあるというので
5時半くらいに起きて、行きましたよ。
ここのお経を唱えるのは激しい。
教典をびしびしとたたきつけるんですよう。(笑)
これってやっぱり毘沙門天だから・・・荒々しいの?(笑)
一応ずっと手を合わせておりました。

昨日一緒になった親子とも再会。その前に一緒に本殿まで行った人たちと
色々話しをしていた時、昨夜暗くなりかけてて
怖いので行くのをやめた山の上にあるお堂(空鉢さん)に朝の4時に来た、と
いう話をしてました。あそこは深夜とかのほうが願い事を聞き入れてくれるんだよ
とも教えてもらいました。ああ、じゃあ怖いからやめとこうとかじゃなくて
夜とかのが良かったのねええええ!
と、ちょっと後悔。
しかも朝の4時の空鉢さんはかなりの絶景だったらしく。
ああ、朝の空が好きな私はちょっとうらやましかったよ。
(ていうかそこまで計算して無かったね)

でも、朝6時の本殿からの景色もものすごくきれいでした。
朝焼けが素晴らしい。天気も良くないんですけど、雲がたなびいていて。
ああ素晴らしいーと感動してましたよ本当。

 本殿でのお勤めのあと、泊っていたところのお勤め。
若いお坊さんが真ん中でお経を唱えて、私もお経を読ませてもらったんですが
不思議な事に、すらすらと読めまして。
びっくりしたんだけど、雰囲気に飲まれたからか、お経を読むテンポとか
切るところとかが自然に出来てしまう。なんだろうあれは。
その若い、そして多分偉いお坊さんから簡単に毘沙門天の像とかについての説明と
洗礼?じゃないやなんていうんだ?何か受けて、その場でのお勤めは終了。
泊った客にだけ見せて貰える美しい日本庭園を、気づいたら雨が降っていたのですが
見ておりました。(抹茶とどら焼き付)

 その時にお坊さんから色々とお話を聞く。
私が一緒だったその親子は、色々と事情があるらしくて、無くなったご主人を
断ち切れなくて、みたいな話をしていて。
お坊さんはまず、「名前は何についていると思いますか?」という話をしてきました。
私たちが「さあ?」というかんじでいたら
「名前は命についているんです。それが「宿命」なんです」
と言われました。
体は宿なんだ、と。借りものなんだ、ということ。
その借りものを自分から勝手に捨てることはしてはいけない
(自殺はするな)ということ。
寿命の話、夫婦の話、とか色々。
 相手が大事な相手である程、断ち切れないのかもしれないけれど
あんまりこっちが思っていると、亡くなった方も引き留めてしまうから
盆と彼岸くらいに、思い出すくらいがちょうど良いんですよ。
という話とか。

 まあ色々お話を聞きました。常に使っている言葉とかって仏教的に使用する時は
また別の意味になってくるのだな、ということもわかりました。
私は一つのものだけを信じられる程の心を持ち合わせていなくて
まあそれは今後はどうなるかわかりませんが
この親子の信心深さには本当感動しましたよ。
景色だとか、いろんなことに感動するんですが
でもこの方々の信心は美しくて、
一途で純粋でした。信じること、慈しむことってやっぱり
美しいんだと思います。



 私自身は単にいろんな体験がしたくてお寺に泊ったわけですが
思った以上の収穫があったと思います。人との出会いとか。
お坊さんのお話がすべてだとは思いません。他の考え方もたくさんあると
思いますけれど、こういう話もあるということが知れて、良かったと思います。
(うちの母の実家はお寺の家なんですけどね。今は母の従兄弟が継いでますけど)

話が終わるころ、雨が上がってました。
朝食をその親子と一緒に取って、虹を見た話をしたら驚かれた。
ご飯の後、例の「空鉢さん(竜王)」に上りに行きました。
道のりは600m。普通に上ると結構有る距離です。
でも若いので(笑)すぐに行けてしまいました。
まだ9時前だったけれど、たなびく雲海。雲海!!海です海!!
後から来たその親子が「こういう景色を見ると「大和の国」を感じるね」
と言っていて、とっても同意しました。本当、ここで朝焼けを見たら
泣けるわーというくらいの景色で。目前に大きな海と山が広がっていて
眼下には雲が早い流れで流れてる。
上から雲を見る、っていうのは神様の気分です(笑)

一願成就の、この場所でたった一つのことを必死にお願いすると
叶う、と言われています。
取りあえず私もお祈り。でもね、「これだけはお願いします」
というようなことが、山を登りながらもずっと考えていたんだけど
あんまり見つからなかったので無難なことをお願いしてしまったかも・・・。
(ていうか。)
まあ何事も参加することに意義が(笑)。

 高いところからずっと眺めていたかったんですが
時間が差し迫ったのでその場でその親子とはお別れしました。
宿坊に戻って、身支度を整えて、精算して出ました。
お世話になったお坊さんにまた秋口にでも来たら良い景色ですよ
と教えてもらいました。
 社交辞令でも何でもなく、もう一度来たいと思ったので
そのことは伝えておきました。
ここだけじゃなくて他のお寺とかにも泊ってみたいですけど。
(でもここはここで、特殊なんだろうなあ。)

 バスの時間が無いのでもうすぐに大阪に向かい
帰宅。

色々と充実した旅でございました。