明日香・現地説明会日和。

朝7時に宿チェックアウト。かなり早めに寝たので私は平気。目の前のミスドで朝ごはん。天気がよくてうれしい。荷物を持ったまま明日香へ向かう。晴れてる日の明日香はうれしいな。

春の空。
橿原神宮前からバスが出ていたようでしたが民宿に直接行きたかったのでタクシーに乗る。私が指示した場所がちょっとちがったのでお金が余計にかかってしまったかも。仕方がない。
荷物はお世話になる民宿「北村」さんへ。北村さん、朝の9時に来てもいやな顔ひとつせず荷物を預かってくださいました。ありがたい。
先に明日香に来ていたマイミクのたかさんからメールがあり、すでに飛鳥京の現地説明会は前倒しで開始される模様、とのこと。今回自転車に乗れない友達が一緒なので小治田宮跡付近(北村さん宅は小治田宮跡にある)から徒歩で飛鳥京まで。・・・・・・・とおいー(笑)私はまだ大体の距離感を知っていたからそれほどでもなかったけど、友達2人はほぼ初明日香なので距離感がつかめなかたからよけい大変だったことでしょう。うーむ。距離にして1kmちょっと?2kmはないよね?


飛鳥京に到着するとすっごい人が並んでいる!!そして受付でパンフレットをもらう・・・。えーーー現地説明会ってそのたびにこんな立派なパンフを製作しているわけではないよねえええ?お金がかかってる。そして報道各社やヘリが上空を飛ぶ・・・うわあ(笑)



結局飛鳥京の現説は3度目の説明を聞くことができました。説明会に来た人たちで現場をぐるっととりかこむように並び、真ん中にいる発掘調査をした人の説明を聞きます。大体20分くらい。飛鳥京で今回発掘された正殿とまったくおなじ形の建物は天武天皇の私的な空間ではないかと報道では言われておりましたがこちらでははっきりと断言はできないようで、出てきた土器や建物の規模などから色々考えられますが。というところで止められてました。まあ、決定的なものが出てきたわけではないからなあ。規模としてはそんなに大きくは感じられませんでした。でも実際その場に立ってみたわけではないので微妙に距離感がつかめないんだけど・・。ちなみに現説が終わったら埋め戻されるそうです。


そのあと石舞台方面に徒歩で。ちょっと疲れたので「あすか野」で一休み。いやあそれにしても広場には石舞台の上にある蘇我氏の施設では?といわれている島庄遺跡の説明を聞く人だかり。少し引いてきたかな?と思ったところでたかさんから連絡をもらい、たかさんにお会いする(笑)。たかさんは、日記の印象とおなじくパワフルな方でした(笑)。お会いできてとてもうれしかったー。ひとしきり話をしたあと、島庄遺跡の説明を受ける。石舞台だってはっきり馬子の墓と決まったわけではないだろうけど、この遺跡が日本書紀のさすものと同じだとするとかなり石舞台が馬子の墓ということにかなり信憑性が生まれるよなあ。
ちなみにここは道路を拡張するための工事に伴った発掘調査をして出てきたものだそうです。


ここではその場で説明をしてくれるわけではなくて、事前に広場で20分程度の説明を聞いて、そこからずらずらと歩いてぐるっと一回りする形でした。ここで遺跡を見てから案内順路に従うと、30年間調査していた島庄遺跡のロングラン公開現場まで行けます。

島庄遺跡の全体がどのくらい広いかなどがよくわかって、おもしろかった。私は馬子の邸宅というより草壁皇子の邸宅部分のほうが気になります。しかしいい場所にあるよなあ。草壁。このあたりからさっきの飛鳥京までの距離を行ったのかなあ。ねえ。(笑)(馬子はそれにしたら私たちが泊まるあたりまで通ってたのか・・・。)

その後久々に石舞台古墳へ。私にとってはかなり久々。観光客であふれかえっている。そうそう、「飛鳥王国パスポート」購入してみました。
(パスポートについてはのちほど)

で、もういいかげんお昼にしよう、と歩いているとたかさんからメールが。石神遺跡の現説はあきらめて、色々観光しようと思っていたのですが、石神遺跡では生の木簡が見られるとの話!!!ひーこれは見たいーーー。と、歩きすぎて体力なくてへろへろな友には申し訳ないが、石神遺跡まで行く。途中しゃれにならないくらいへろへろになってたところをタクシーが通りかかったのでタクシーで行く。
しかし飛鳥寺の信号ひどいな(笑)青は20秒、赤は4分の信号っすよ(笑)

でタクシーで石神遺跡まで。ものっすごい人!!!うわー。そしてさっきまでの現説と違って長い長い長い長い!!疲れてるしおなかもへってるし、なので業を煮やして「木簡って見られるんですか?」と受付に聞いてみたら「あちらで見られますよ」とのこと。拍子抜け。えー、何ずっと話しを聞いたあとに見るんだとばっかり思ってた。とりあえずパンフレットをもらって木簡やその他の出土品を見させてもらった。木簡は本当に「さっき誰かが書いたでしょこの文字」ってくらいくっきりはっきり残っていて、すごいと思った。ヒトガタとか祭事に使ったようなものもごろごろ。これらはゴミで、今で言うと仕事で一旦使ってもういらなくなったものを捨てたのに、偶然がかさなって1300年たって出てきちゃった!というかんじですよ・・・。書いた人はどういう気持ちなんだろう。(笑)
木簡は劣化するから写真撮影は禁止とのことでしたがそれ以外の出土品は撮影OKだったのでがんがん撮ってきました。




見て撮影してとりあえず目的は果たしたのでまだ解説しているけれど徒歩でお昼を食べに向かう。と、そこに「金かめ」が。*1金かめではぐるっと一回りすることになるけれど、もうくたくたで歩く気力がなかったので乗せてもらって「めんどや」へ。
明日香に来るとかなりの割合でくるお店です。ガイドブックとかにも必ずといっていいくらい掲載されているにゅうめんのお店。今回もにゅうめんうまい〜。
ところで私いつもめんどやでお昼を食べようとして休憩して落ち着いたときに何気なく自分の手のにおいをかぐと「明日香のにおい」になってるんですよ(笑)今回もそうで、不思議だなーと。自然が多いから草木のにおいなのかと思うけどそういうのともちょっとちがうんですね(笑)明日香にいると手が明日香のにおいになる(笑)

そうこうしているうちにもう3時になってしまい、見るところが少なくなってしまったので、どうするか相談して結局万葉文化館へ向かう。その前に亀型石造物へ行くと、ボランティアガイドのおじさんがいて色々教えてくれた。何度かここにも来てますがボランティアの人に偶然出会えたのははじめて。
ここは山のすそだったから7mも掘ったとか、ここが出土されてからえらい先生が上の酒船石との関係をNHKで番組にしてその先生の想像に基づく大掛かりな装置を想定してCGで再現とかやったのだけれどその少し後に、酒船石とは関係ない独立した施設だったということがわかった石(炉?)が出てきたとか。
明日香では不思議な石やどう説明をしていいのかわからない石がたくさん出てますが、この石はその場にあったものをそのまま見せてくれています。みやげ物にしたら灰皿になるに違いない形ですが(笑)小皿として売ってたりします。土産にしたいよなあーこの形!(笑)
あと、この施設は斎明天皇のころのものだけれど、施設としては平安時代まで使われていたのでは?という話があるとか。(1個だけ亀の顔のあたりから平安時代のお金が出てきたんですって)それもすごいよねえ。
このボランティアガイドのおじさんの話で面白かったのは「明日香はどこを掘っても何か出てくるんです。オーラを感じませんか?」とか(笑)オーラを感じてください!って言ってた。おじさん、熱いぜ!(笑)*2

そのあと私とへろへろな1人は万葉文化館の喫茶室でお茶を飲んで休憩することに。もう1人だけ「万葉ラップ」を聴きに行った(笑)だらだらと「飛鳥乙女」をたべつつだらだらしている。ここの喫茶室は窓が広くて眺めがよくて大好きです。
今回はいかなかったけど時間がある日は万葉集関係の本などを集めた図書館も面白いっす。
だらだらと休んでいるうちに友達が戻ってきたので、帰ることに。

↑その頃の空
私は明日香村に何度もきてるからいいものの、友達2人はほぼはじめて来たのに現説の見まくって終わりってどうなんだよとか思ったんですけどね〜ごめんよ。またいこう(笑)
お寺や神社や甘橿丘にも行かずに終わってしまった・・・。
バスがちょうど来たのでバスで民宿へ向かう。

民宿は本当に居心地がよかった。なんかもう宿のおばさんとおじさんの距離感とかあったかさとか部屋とかとてもとてもよかったです。気持ちよく対応してくれたのもよかったし。飛鳥鍋もおいしかったっす。卵をつけて食べるよりしょうがで食べるほうがおいしいって言ってたけどまさにそうだと思う。(笑)しかし飛鳥乙女を食べてたのでかなりおなかいっぱいで大変でした・・・・。

うーん来月も北村さんにお世話になりたいー。
http://www.asukaweb.jp/

夕飯前には伝小治田宮跡あたりで夕日の写真を撮りまくってました。

*1:明日香村周遊バス

*2:余談ですがこのおじさんが、板蓋宮の発見がまだで、(伝飛鳥板蓋宮跡って、今は本当はあそこではないっていう説が一般的になってきてますよね。)あのあたりで焼けてる跡が出てきたらそれが板蓋宮の可能性があるかもといってましたが、今回発見された岡本宮跡?は板蓋宮の可能性はないんですかねえ?こげてたけど。見たけど。土焦げてた。